安全性研究の大前提

最近、総説を書く機会をいただけて、
頑張って書いていたのですが、つい昨日、一通り形になったので、
余裕ができました。


私は、ある物質の安全性(毒性)を適切に評価すること、
またはその評価手法を開発することをを目的とした研究を中心に行っています、
今回、その総説を書きながら、私の携わる研究の大前提となる考え方を熟考しました。

研究をはじめてわずか3年ですが、
ひとまず、現時点での私の考えを備忘録的にまとめておこうと思います。




企業であろうが、アカデミックであろうが、
研究には、時間や労力、研究資金など様々な制限が設けられることが多いです。
研究者はその制限の中で、社会に役立つ知見を見出し、世に公表することが求められます。

そんな制限の中で研究を続けていると、
制限が無い場合の「理想の研究」の形を忘れてしまうこともあります。
(ゼロベースでの思考というやつでしょうか)

自分の研究が、その「理想の研究」の一部であることを
定期的に思い起こし、自分の研究がどのような立ち位置であるのかを
改めて認識することは、自身の研究の整合性や指針を見直す上で重要になります。


では、安全性を評価する研究の “理想的な形” とは何でしょうか?
これはそのまま、安全性研究の大前提となる考え方に直結すると思います。


ある物質の安全性を評価するためには、
その物質が持つ生体への悪影響を検出する必要があります。

生体への悪影響、すなわち毒性の検出を完全に行うためには、
「場」「時」「量」の3つの軸をもとにした網羅的な解析が必要となります。

 

「場」とは、生体内のどこに影響を及ぼすかを意味します。
体内動態と書くと分かりやすいでしょうか。
哺乳類をはじめとした高等生物の個体は、循環器系や呼吸器系、消化器系など、いくつかに分類されたの器官系から構築されています。
調査対象である物質が、どの器官系、ないしは器官へ到達し、生体影響を引き起こすのか探索する必要があります。
さらに、これら器官系や器官の階層構造も考慮しなければなりません。
器官は、いくつかの組織の集まりであり、組織は同一の細胞の集合体です。
その細胞の中では極めて膨大な種類と数の生体分子が相互作用することで十分な機能を果たすことができているのです。
ある物質の安全性を示す上では、対象となる物質が、個体のどの場所(器官)で、どの大きさの次元で影響を及ぼしているかを明らかにしなければなりません。
忘れてはならないのが、生体影響は特定の器官のみで完結するわけではなく、独立して複数の器官に影響を及ぼす場合もあれば、複数の器官が互いに相互作用を及ぼして生体影響が発現する場合もあるということです。
自分の研究がどの器官の、どの大きさの次元に着目しているのか、
そして他との関わりはどうなっているのか、これらを忘れずに進めていく必要があります。


「時」は、投与(曝露)の期間や毒性発現のタイミングを意味します。
同じ投与量であっても、投与される期間の長さによっては、身体にかかる負荷の度合いは大きく異なります。
この観点から、その投与期間を急性、亜急性、慢性の3段階に分類して評価することが、一般的となっています。
この投与期間の他にも、投与後から生体影響が発現するまでのタイミング、つまり毒性発現までの生体反応の移り変わりも重要となります。
多くの物質は、投与直後ないしは数日以内にその毒性を発現しますが、中には数カ月、数年、果ては数十年後にその影響が認められる場合も存在します。
例えば、発がん性物質が曝露された際、「ただちに影響はない」かもしれませんが、確実に将来の発がんリスクを高めているといえるでしょうか。
また、乳幼児期の栄養状態が、成人後の生活習慣病リスクに関わるというDOHaD説に基づいて、この仮説を拡大解釈すれば、子供のころに曝露された物質の影響が、成人後に初めて認められる可能性があることも容易に予想できます。
秒や分レベルの変化、日や月のレベル、年や数十年レベルなど、生体影響が発現するまでの間の生体内での応答の移り変わりを評価することも、投与する期間と同様に重要であるといえます。
自分の研究が見ているタイミングは、ある物質の投与によって生体応答が引き起こされようとしているところなのか、引き起こされている最中なのか、それとも、すでに発現してしまったところなのか、見定める必要があると思います。




最後の「量」とは、安全性評価で最も重要な投与量(曝露量)のことです。
パラケルススが提唱した「物質にはすべて毒性がある。毒性のないものはない。量が毒か薬かを区別する。」という教えはあまりに有名で、今日の毒性学の根幹をなす考え方の一つとなっています。
この考えは、物質は容量依存性を持つこと、すなわち投与量が多くなるほど及ぼす生体影響が大きくなるということを表しています。
一般的に安全性研究では、容量依存的に生体応答、毒性発現が大きくなることを示すことが重要です。
ただし、近年の研究で、一部の物質は容量依存性を無視した毒性発現を示すことが報告されているのを忘れてはいけません。
例えば、ある曝露量を超えない限り、生体内の防御システムの一つがはたらかない場合、その曝露量の前後では、一見すると容量依存性が認められないように見えるはずです。
自分の研究で設定した投与量が、その物質によって引き起こされる生体応答の全てではないことに注意しなければなりません。



物質の安全性を評価する“理想的な研究”は、「場」「時」「量」の3つの軸を中心に据えた複合的な視点を持ちつつ、これら全てを“網羅的”に行うことにあります。

その物質が持つ毒性(安全性の逆)は、最も鋭敏に応答した反応、つまり、最も少量で悪影響が検出された(ある特定の部位の、ある特定のタイミングの)結果をもとに決定づけらます。

すべての結果を、同条件でくまなく比較検討し、評価することによってその物質の安全性を明らかにすることができるのです。

これが、安全性研究の大前提となる考え方であると私は思います。
私の研究は、この大前提、すなわち「理想的な研究」のごく一部にすぎないことを、今一度念頭に置いて、真摯に遂行していこうと思います。

次回は、制限された中で、この「理想的な研究」に如何にして近づいていくのか、
現時点での答えを書いていければと思います。


最後になりますが、
今回参考にした本を紹介いたします。
現代の毒性学の考え方が大変よくまとまっています。

※毒性の科学: 分子・細胞から人間集団まで

[編集] 熊谷嘉人, 姫野誠一郎 , 渡辺知保

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