生化若手夏学レポート ―論理 VS 感覚― 杉本八郎先生の講演を聞いて

昨日、生命科学夏の学校に参加してまいりました。

というか、スタッフ(企画長)としてはたらいてきました。

 

企画担当の方がみな優秀だったため、本当に何の問題もなく

無事に終えることができたのは非常によかったと思います。

ありがとうございました。

 

さて、このブログで夏学の参加で感じたことを少しずつ書こうと思います。

(ゆえん、個人用の備忘録なので正当性は保証しません。)

 

数多くの講演がありましたが、私はそのうちの一つ、

 

「ファーマドリームの実現を目指して」

~認知症薬を生んだ男~

同志社大学大学院脳科学研究所 杉本八郎先生

 

の講演を聞きました。

 

杉本先生はかつて、エーザイの研究所で研究をしており、

かの有名なアルツハイマー治療薬「アリセプト」を開発した方として有名です。

 

その先生の講演の中で興味深い一言がありました。

 

「根拠のない自信。これを大切にしてほしい。」

 

根拠のない自信という言葉は時折使われますが、

それは比較的ネガティブな場面で使われることが多いですね。

 

しかし、この根拠のない自信こそが、ひとつのものごとに集中するには大切なのだとおっしゃっていました。

 

私も、先生ほどではありませんが、研究に没頭する日々を幾分過ごしてきました。

私の最近の結論の一つに「感覚の重要性」というのもがあります。

 

“感覚”の対になるものが“論理”すなわちロジックです。

一般的に社会では、就職活動等でロジカルシンキングや論理的思考力の重要性が訴えられます。確かに、論理は正解を導くためにも、他人へ伝えるためにも大事なものです。多くの方が理系はこの論理的思考力に優れるとおっしゃいます。

私も、論理的にものごとを考え、伝えるのはすごく大事なことだと思っていましたし、今もそう思っています。

 

しかし、“論理”だけでものごとを進めていくことに限界を感じました。

 

“論理”の長所は、
身につけることができて、正解を導く可能性が高いことにあります。

“感覚”の短所は、
身につけることが難しく、正解を導くのが難しいことにあります。

 

極めて高い正答率が求められる社会では、

確かに論理が重要と言われるのはうなずけます。

 

しかし、研究はときにTry and Errorを繰り返すものだと思います。

そんなときに“論理”では“感覚”の速さに勝てないのです。

 

論理では、どうあがいても思考時間が長くなります。

特にスタートからゴールまでの距離が長ければ長いほど、

面密に、ひとつひとつのロジックを積み上げる必要があるため、

余計に思考時間は長くなります。当然、感覚ではそんな過程をすっ飛ばして作業をするので、作業以外の時間は必要ありません。

 

感覚の長所は何よりも、この思考時間の速さにあります。

仕事をするうえで大事な資源を3つ挙げろと言われたら、金銭、体力、時間が上がると思います。この条件下で、“論理”よりも速い“感覚”で正解を出すことができるのは、極めて強力な武器となります。

 

 

 

私がこう感じたきっかけは、3年ほど前の友人との「有機合成学」の勉強中でした。

極論を言うと、私は電子の軌道や電気的なモーメントなど、あらゆるパラメータを考慮し、物質同士の反応機構を考えていました。

かたや、その有機化学を得意とする友人は、何も考えずにスラスラと反応機構を書いていたのです。

 

私も彼も、はじめて見る物質同士の反応なので、“記憶”でないことは確実です。

つまり、私が、あらゆるのパラメータから、一つ一つのロジックを積み上げて正解を導いていたのに対し、彼は、これまでの経験から、感覚的に正解を導いていたのです。私は、この時から、ロジックだけで正解を導くことに違和感を覚えていました。

 

そんな心境で研究を続けていくうちに、

私の中での一つの序列が出来上がっていました。

 

ある一つの仕事をした際に、どういう過程でどういう結果を出したのかを考えると、

 

1.感覚に基づいて正解を導いた。

2.論理に基づいて正解を導いた。

3.感覚に基づいて失敗した。

(速いのですぐ次に挑戦できる。)

4.論理に基づいて失敗した。

(遅いわ、結果でないわで最悪)

 

の順に優れていると思うようになったのです。

 

こうして並べると、感覚は論理に勝っているように見えます。

しかし、やはり失敗できない場面では、感覚よりも論理の正答率の高さが魅力的です。大事なのは、感覚で仕事をする場面と論理で仕事をする場面を正しく使いこなすことにあると思います。

 

したがって、私は自らの思考力を鍛える時、

「出来るだけ正解を導ける感覚」

「出来るだけ速く積み上げられる論理」

この2点を重要視しています。

 

「感覚的に正解はこれだ」と思って作業に入り仕事する。

これを言いかえれば、「根拠なき自信」に基づいて仕事をする。

ということになるかなと私は感じました。

 

自分語りがすこし過ぎましたね。

杉本先生のおっしゃっていた根拠なき自信に話を戻します。

 

先生は上記の内容だけでなく、更に仕事をするうえでのモチベーションに関しても

この“感覚”が重要とおっしゃっていました。

 

論理は、確かに自らが考えて積み上げたものですが、あくまで、外から得てきた情報によって構築されたものにすぎません。そのために、正解までたどり着くまでの行程で、少し外部から違う知見が入り、その論理をつつかれるだけで、本人は不安になりえます。

 

先生はこのことを、ロジックで積み上げられた道筋は、「ロジックにより倒される」と表現していました。少しでも、違うんじゃないかなぁ、失敗するかもしれないなぁと思えばだれしもが、不安になり、手を止めてしまいます。遅いことだけでなく、これも論理の弱みであると思います。

 

対する感覚について、先生は、「根拠のない自信はロジックや論理に倒されることはない。なぜなら、それは自分のパッションだからだ。自分がそう思っているのだから、他のことに惑わされるはずがない。」とおっしゃっていたのです。

感覚とは自らのうちから湧き上がってきた思い、いわるゆパッションです。たとえ他人に批判されようとも、自らの心から生まれた強い思いはそう簡単には消えません。自分のもつ感覚に基づいて仕事をすること言うことは、何よりも高いモチベーションとなります。

 

 

こうした点から、論理的思考力だけでなく、感覚的思考力を高めることも私は重要だと思っています。

 

では、その感覚は、正解を導くことのできる感覚は、いかようにして身につければいいんのでしょうか?

 

私は、これこそ、あらゆることを“経験”するしかないと思います。

その肌で触れ、目で見て、耳で聞き……五感をフルで使うことで、

まさに“感覚”を養うことができると思います。

 

なぜそう思うのか、そう感じるのか、ここに論理的に根拠を示したいところですが、

残念ながら、根拠はまだ分かりません。

感覚的に私はそう思っているのです。

 

説得力はありませんが、考えている時間ももうないですし、

文字数もかなりのものなので、ここでいったん終わりにします。

なんだかしまらないですね(汗

 

 

ではまた今度。